高校2、3年時の担任は英語の先生だった。
その先生は、受験真っ只中の生徒たちに「私が使っている英単語のほとんどは、大学受験の時に覚えたものです」と言った。
今は、人生100年と言われる時代だ。
その中でたったの2、3年のこと。
当時私は、先生は今が勉強に集中できる貴重な時間であることを伝えたかったのかなと思っていたのだが、今は、実は先生は受験勉強をしながらも英単語を覚えるのが楽しくて仕方なかったのではないかと思っている。
受験当時、私の第一志望の二次試験に小論文があったため、その1校のために小論文対策をしていた。それは新聞のコラムを切り抜いて、その内容から30分くらいで800字程度の小論文を書くというものだが、誰に採点されるわけでもないその作業を私は楽しんでいたように思う。
結果的にその学校に通うことはなかったが、その経験は意外な場所で役立つこととなった。
就職活動でカタめの出版社を中心に受けていた私は、その1つで作文を書くことになったのだ。作文の試験を受けたのはそこだけ。テーマや内容は覚えていないが、祖父のことを書いたように思う。そして、その会社に入社して、編集部に配属された。
あの時、小論文の試験勉強をしていなかったら、このような仕事をすることはなかったかもしれない。そして、それは偶然かもしれないし、必然をもたらす縁だったのかもしれない。
けれど、1つだけ確信していることは、私は受験勉強のなかでも小論文対策だけは楽しんでやっていたということだ。
いつだったか、テレビでタレントのみやぞんさんが「努力には実る努力と実らない努力があって、辛いと思いながらやっている努力は実らないけれど、楽しい努力は実る」と言っていた。
名誉や権力を奪い合うような社会でも、実際に経験して得た知識や技術は誰からも奪われることはない。それが失われるのは自身の体が滅んだ時だけだ。そして、苦しいことを何十年も続けていたら、きっと体か心のどちらかを傷めてしまうだろう。
仕事は楽しむ。シンプルだけれど、それが最強への近道なのだと思う。
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